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雑考 自由とは何か①

日本における「自由」観念 雑考

 「自由」という言葉が日本で現れるのは平安時代初期の続日本紀という勅撰史書のなかであるといわれている。おおかた「好き勝手で気まま」という様子を意味しており、14世紀の徒然草においても同様な意味合いで使われていたことがわかる。

「この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・学匠・辯舌、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を軽く思ひたる曲者にて、万自由にして、大方、人に従ふといふ事なし」『徒然草』第六十段
 
 ところが、明治時代になると西洋文明との接触が活発になり、江戸から明治にかけて翻訳家であった森山栄之助、アメリカ・ヨーロッパに渡欧した福沢諭吉によって、英語のlibertyという語の訳語として「自由」があてがわれることになった。明治11年頃にはその「自由」という言葉で自由民権運動という活動が行われており、その活動を推進してきた板垣退助(1837-1919)の風説としても「板垣死すとも自由は死せず」という言葉が残っている。
 このように日本ではこの明治時代に意味合いが変わり、「自由」という言葉に、西欧文明で培われてきた意味合を含むものとして使われはじめ、以前の放蕩的な意味合いが薄まっていったといえる。

 私たちは自由という言葉をわかっているような気がしているが、改めて考えてみるとよくわからなくなってしまう。現代では「自由」という観念と関係したものとしてリバタリアニズムという思想が欧米で議論されていますが、欧米人が「間違えて解釈する」ことがない事柄をも、「自由」という言葉に含ませられている西欧文明で培われてきた意味合いの不理解により、もしかしたら私たちは大きな勘違いを起こして捉えてしまっているということがあるかもしれない。「自由」の名のもとにいろいろな要求や議論がされている昨今、いまいちどその意味合を見てみることは大切であろう。
 今回の記事はその西欧的な意味合いの一部分を取り上げた雑考であり紹介文である。

以下は田中美知太郎全集 第16巻 「自由の意味」371-389頁のまとめです。
 
 「[自由]とは何か。これをいろいろなふうに定義しますけれども、最もそのものずばりで言うと、自由というのは[言いたいことを言い、したいことをすることができる]ということでしょう。これはプラトンという人が『国家』という書物の第八巻において、いわゆる民主政治というものの原則として[自由]というものを挙げて、自由とは何かということをそういうふうに定義したわけです。」371頁

 これで言われていることを率直に受け取れば、その自由の実現とは、暴君の自由であり政治的権力をもった独裁者の自由に他ならない。もしそのような自由があったとしても、たとえば、めいめいが自分の車を好きなスピードで走らせてよいのでは、方々で衝突が起こり交通は杜絶してしまう。同様にすべてにおいてこのような自由であるならば社会は成り立たない。自由であるべきとか、私たちは自由であるといっても、実際においては、かなり制限された形において「自由」というものがあるといえる。

 「いわゆる国家社会の成立については、[契約説]というものが行われていますね。これは近世の政治思想だなんて言う人がいますけれども、昔からある思想です。日本の近代派のいわゆる契約説思想によると、仮に個人は絶対的自由であると考えて、そういう個人が集まって一つの社会や国家をつくるとする。その場合、めいめいの持っている自由の制限を条件として、めいめいの持っている自由の一部分を供出して集め、そこに国家権力というものを構成して一つの社会をつくることになるでしょう。だから私たちには社会に生活している限り、絶対的自由というものはありえないわけです。」373頁

 つまりは、自由社会とは、めいめいがその自由を制限し、その制限を一つのルールとして守ることによって、ただひとりだけが自由なのではなくて、できるだけ多くの人が制限された自由を共有する社会だという。そしてそれは、絶対的な自由の制限ということを前提として成り立っている。

「これはある意味においては窮屈な感じですね。ですから私たちは、空想においては、自分が絶対に自由になりたいというようなことを考え、またそういった憧れをもっています。しかし、絶対的な自由は、自分だけがあらゆる道徳を越えて、たとえばかくれみのとか魔法の指輪とかを持っていて、誰にも気づかれずに自由に行動できるというように考えてみると、それは同時にほかの人が全部法律に従って秩序正しく生活していてくれないと困るわけです。ですから、自由というものに対しては、憧れとしてはめいめい自分の内にあり、それは空想的にいろいろ考えるけれども、現実としては自由というものはないわけです。つまり現実としてわれわれは、決して自由ではないし、自由ではありえない。これをはっきりと認め、そして今日の社会というものを考えなければならないわけです。自由を多くの人が共有する社会、いわゆる自由社会というものは、自然に生まれてくるのではなく、やはりある制約のもとに発見され、つくられたものです。」374頁

 社会の一員やコミュニティが、お互いの自由の共有において課せられた制約から、自分たちだけの自由を要求する場合があるとする。ここで注目するのは、上で言われているような、「ほかの人が全部法律に従って秩序正しく生活していてくれないと困る」というような要素が必ず現れるということである。もしこれが承認される場合それは特権と呼ばれ、そのとき自由社会に混乱が起こってしまう場合がある。

 「自由」という言葉をさらに探ると、自由社会を自分たちでつくり、自分たちの言葉としてそれを悟り、意識した最初のひとは古代のギリシャ人であったという。ギリシャ人の考えた「自由」とは何なのか。ギリシャの吟遊詩人であったホメロスの『イリアース』という作品の中にそれが見て取れるという。物語のテーマはトロイア城をギリシャ軍が十年にわたって包囲し占領するというもの。そこでトロイア方のヘクトルという英雄が部族の前で、城の中では自由であるが、ひとたび城が落ちたならば、「奴隷の境地より救うべき者あらずして」と奴隷の日々を送らなければならないと嘆いている。「自由な日々」というものと「奴隷の日々」というものが、そこにコントラストとして現れている。

「そこで掲げられている自由とは何かというと、それはトロイアという自分の国、自分の町が、自分自身の主権を行使できる独立国として存在し、敵国によって征服されたり主権が侵害されたりしない状態のことを自由と呼んだでしょうね。つまり[自由]ということの最も根本的な意味は、自分たちの住んでいる国家が他国によって支配されていないということ、それが自由の根本的な意味なんです。」376頁

 さらに時を経ると、ペルシャ戦争に勝利するギリシャ人は、さらにもう一つ違う意味での自由を悟っていく。それは、<自由なギリシャ市民>対<僭主に率いられたペルシャ奴隷の大群>という見方である。自由のための戦いに勝利したギリシャ側は、方々に自由の女神像が建設されていった。この自由の像は、国家独立のシンボルとして建てられたのだが、もう一つの意味として、独裁政治や個人あるいは一党一派による独裁専制というものが廃止されたこと、独裁者が倒されたことを記念するためのものでもあったのである。

「この二重の意味で私たちは今日、自由を享受していますが、これは決して水や空気のように自然に与えられているようなものではない。・・・自由というのは、基本的にはそういう社会的な、国家的な意味において、まず考えられなければならないのであって、そういう自由を守るために血を流して戦うということが行われるわけです。幸いにしてわれわれはそういう経験をしていませんけれど、それを失うことはないと、だれも保証はできないわけです。」377ページ

「そういう公的な自由、政治的自由というものが実は基本的なのであって、先ほどお話した、したことをするとか言いたいことを言うという自由は、これは個人的自由です。これはそういう公的な、政治的な自由というものがしっかりしていて初めて可能なのであって、個人的自由だけがひとり歩きをして存在しているということはない。ただわれわれが空想としてそういうような自由というものを考えることがある。いわゆる国家権力に反抗してとか、そういうものと闘うというような形で。実は国家権力といっても社会的な制約下にあります。しかし、そういうものによって自分が何となくがんじがらめになったような感じがすると、それに対して反抗的な意味で自由というものに憧れます。けれども、そういう自由は空想としてしか存在しない。これを公的に考えれば、いまいったような公的条件をみたすことにおいて、はじめて個人的自由というものがあるわけなんです。」378頁

 この雑考で「自由」という言葉には、西欧文明で培われてきた意味合いも含まされていると考えた。だがその意味合いが、古代ギリシャで言われていた「自由」がそのものであると断言することはできないかもしれない。しかし、私たちが生きる立憲君主制民主主義と自由、ギリシャ人が生きていたデモクラシーと自由は、細微まで同じというわけでないが、デモクラシー(民主主義・民主制・民主政)ということでは同じものを受け継いでおり、その「自由」ということにおいても同じ問題を抱えていたに違いないと考えるのも乱暴な話ではないと思う。

「昔のギリシャ人が考えた自由というのは、いまお話したようには公的な自由がまず基本にあったわけです。それでは個人的自由はあったのかなかったのかということに関して、昔は学者の間に多少論争がありましたけれども、やはり個人的自由というものはあったわけです。このことはツキュディデスの有名な歴史家の『ペロポンネソス戦争史』という、ギリシャ人世界からすれば世界大戦の意味をもつ約三十年にわたる大きな戦争の歴史を書いた本の、第二巻に、ペリクレスという人の戦没兵士に対する葬送演説に書かれているんですが、その中に自由のことが書かれています。」378頁

 世界の名著第5巻 トゥキュディデス「戦史」第二巻 356頁より
 ペリクレスの葬送演説部分を引用。

「われわれの政体は他国の制度を追従するものではい。ひとの理想を追うのではなく、ひとをしてわが範に習わしめるものである。その名は、少数者の独占を排し多数者の公平を守ることを旨として、民主政治(デモクラティア*1)と呼ばれる。わが国においては、個人間に紛争が生ずれば、法律の定めによってすべての人に平等な発言がみとめられる。だが、一個人が才能の秀でていることが世にわかれば、輪番制に立つ平等を排し世人のみとめるその人の能力に応じて、公の高い地位を授けられる。またたとえ貧窮に身を起こそうとも、国に益をなす力をもつならば、貧しさゆえに道を閉ざされることはない。われらはあくまでも自由に公につくす道をもち、また日々にたがいに猜疑の目を恐れることなく自由な生活を享受している。よし隣人がおのれの楽しみを求めても、これを怒ったり、あるいは実害なしとはいえ不快を催すような冷視を浴びせるこことはない。私の生活においてわれらはたがいに掣肘を加えることはしない、だがこと公に関するときは、法を犯す振舞いを深く恥じ恐れる。時の政治をあずかるものに従い、法を敬い、とくに、侵されたものを救う掟と、万人に廉恥の心を呼びさます不文の掟とを、厚く尊ぶことを忘れない。」
*1 デモクラティアは便宜上付け足しました。
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テーマ : 勉強日記
ジャンル : 学問・文化・芸術

Comment

私の中でスッキリしました。

私は、「自由」という 言葉 は、
好きですけど、違和感 がありました、、、
この記事を見て、考えていると、
なんだか、私の中で スッキリ しました。
私は 以下の 自由 を思って、
自由 を 好きのように思いました。

「暴君の自由 を 適度 に 制約、
 政治的自由 を 適度 に 享受、
 そのうえでの、個人的自由」


私のブログにも、載せてみました。

http://gichan.blog75.fc2.com/blog-entry-441.html

電車の騒音さん、
本当に、ありがとうございます m(_"_)m

Re: 私の中でスッキリしました。

コメントありがとうございます。

私もまだまだ勉強中のため、間違っているところがあるかともいます。

また、今は仕事が忙しくなり、更新が遅れる予定です。

どうぞ今後とも宜しくお願い致します。
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